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日本ではじめて?南海高野線北野田駅誕生秘話 [旅行・観光・鉄道・バス]

 

南海高野線北野田駅は、私が住んでいる自宅の最寄り駅になります。

大阪郊外の何の変哲もない駅ですが、駅誕生に至るまで結構おもしろいエピソードがあります。

そのエピソードとは

南海高野線は、その前身である高野鉄道が明治31年1月に大小路(現堺東)―狭山間を開通させました。同年3月には長野(現河内長野)まで開通させています。

当時は全線単線で蒸気機関車が客車を連結して運行されていました。時刻表を見ると大小路始発5時30分で2時間間隔で運行されており、最終は午後7時30分。長野発は6時25分始発で、最終は午後8時25分でやはり2時間間隔で運行されていました。時刻表を見る限り1編成の列車しかなかったような気がします。

開通当時は、将来の紀見峠越えを想定して大型の蒸気機関車を導入しましたが、維持費に結構金がかかったようで、後に小型の蒸気機関車に置き換えられています。

開通当時から、経営が苦しく、路線を大阪市内に延長し、明治33年8月に道頓堀(現汐見橋)―長野間が開通します。当時の大阪府は、人口の大半を大阪市が占めていましたので、大阪市乗り入れは鉄道会社にとっては経営に不可欠なことでした。同じ理由で、河陽鉄道(現近鉄長野線)も阿部野橋まで路線を延長しています。

話を戻しますが、高野鉄道開通当時は、北野田駅はありませんでした。

高野鉄道側としては、当初交通の要所だった野田村に駅を開設して、営業を開始したかったのですが、思わぬところから反対運動が起こり、結局北野田駅から南へ1キロちょと離れたところに駅(狭山)を作り開業することになりました。

では当時、駅設置に誰が反対したかと言うと、お年寄り連中だそうです。

理由は、

「よそもんが、鉄道でいっぱい村に入ってきたら風紀が乱れる」

というものでした。

今では信じられない理由ですよね。当然賛成派もいたと思いますが、結局は年寄りの言うことが通り、駅設置は見送られることになりました。

 明治40年に経営不振の高野鉄道から事業を高野登山鉄道が引き継いでいます。

大正元年には、長野まで電化され、蒸気機関車の代わりに電車が走るようになります。

大正4年には、和歌山県の橋本まで電化開通し、橋本で和歌山線と連絡できるようになってからは鉄道の経営はようやく順調にいくようになったようです。

大正元年になっても野田村には駅はまだ設置されていませんでした。

鉄道が開通し、大阪市内へ出るのが便利になってくると、村民の中から駅設置の要望が出てくるのは必然的でした。列車に乗るにしても野田村から狭山駅まで歩くか、狭山駅より遠い大阪よりの西村(現初芝)まで歩くしか方法がありませんでした。

大正元年10月には、1.8キロ大阪寄りに萩原天神駅が開業しました。西村駅よりは近くに駅が出来ましたがやはり野田村からはやはりそれなりの距離がありました。

そこで野田村のみなさんは、協議した結果、高野登山鉄道に駅の開設を求めるためにお願いに行きました。

ところが高野登山鉄道の社長は一言「今、当社はお金が無くて新しい駅を作ることはできません。」

この時、高野登山鉄道の社長に就任していたのは根津 嘉一郎、この後東武鉄道の社長などを歴任した人物で鉄道王とも呼ばれてた人物です。

この時ちょうど紀見トンネルの掘削工事を行なっていた時でもあり、当時としてはかなり距離の長いトンネル工事でしたからかなりの費用を要したと思われます。ただ今思うと駅ひとつ造るくらいのお金が手元になっかたかと言うとそれも信じがたい話です。あるいは根津は高野鉄道時代の話を聞いていて「いまさら」と思ったのか・・・・。残念ながらその辺の事情は今となってはわかりませんが、とにかく初めの内は駅設置について否定的でした。

どちらから言い出したかわかりませんが、結果全額地元負担という条件で駅設置が決まりました。この時自治体としての野田村が費用を出したのか、あるいは村民が各自募金したかはわかりませんが金を集め、駅予定地の地主は無償で土地を提供しました。最後には村民が現場で駅設置のために働いたそうです。

その結果、北野田駅は大正3年8月7日に無事開業することになりました。

当時の村民たちは駅開業をどのように思ったのでしょうか。お年寄りの反対から駅設置が見送られ、そこから15年以上の歳月が流れやっと出来た駅に感無量だったことでしょう。

つまり北野田駅は、私の知る限り日本で初めて全額地元負担で誕生した駅です。今日では新幹線に新駅を作る時、この方法がよく使われていますよね。いいか悪いかは別として。

大阪の南部の私鉄の駅ですが、実はその誕生に至るまで当時の人々の人間模様が垣間見られる話でもあります。

今日、北野田駅周辺は、再開発により大きく変わり、昔を見つけるのは難しくなりました。ただ駅前にある堺東図書館に駅設置のための請願書が掲示されており、当時の人々の駅開設のための熱意が感じ取ることができます。


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